2013年12月21日土曜日

愛された記憶を植えるということ。学童保育が子ども達の心に残すもの。

愛された記憶を植えるということ。学童保育が子ども達の心に残すもの。

昨日、学校を休みました。

朝起きてきたら、「気持ち悪い…」と。
熱はなかったのだけど、どうも唇も青白いし。
大事をとって休ませる事に。

妻もいたのだけど、「たまには甘えさせてやるか…」というのもあり、
私も会社を休んで看病することに。

…本当に体調悪い?

ちょっと休ませたら、熊のぬいぐるみで遊び始める。
あれ?気持ち悪かったんじゃないの?
「気持ち悪いよ…」

おっとこれは、仮病とは言わないまでも、すぐ治った感じのやつか?(笑)

風邪をひいたときのスペシャル感ってあったな〜

自分の子ども時代を振り返ると、
風邪をひくと、母がポカリを買ってきてくれて、
色々世話してくれて…
独り占め。(笑)
何か、大事にされてる感じ、愛されてる感じがして、熱が下がらないぼーっとした頭でなんかちょっと嬉しかったりした。

そんな経験になったのであれば、まあ、いいかと思ったのでした。

愛された記憶が子どもを大きくする

自分の存在意義とか、そういうものって、誰かに愛されることで少しずつ実感していくものなのかなーと。
自分の場合、父は仕事で忙しかったので
母との時間や、周囲の大人の優しさとか
もちろん、友達の存在とか
愛されてるとか、必要とされてるとか、そういう感覚が
健全な成長にとても大事だったような気がする。

共働きが増える現状と、学童保育の重要性

我が子の通う学童の指導員の先生は、
たまに私が学童に行くと色々話してくれる。
野菜が好きで、学童にある畑の仕事を手伝っているとか。
手伝うのが楽しいのか…皿洗い、掃除…いろんなことをすすんで手伝っているだとか。

どうも家だと、危ないからとか、大人がやった方が早いとかで
なかなか手伝いをさせる機会が少ないかもしれない。

お手伝いを通して、
自分がしたことが喜ばれるとか、
自分が必要とされてるとか、
そういう感覚を育んでいるのかもしれないなーと思う。

そして、いつも変わらず迎えてくれる人がそこにいるという安心感が
学童保育に通う子ども達の心にはあるんじゃないかと思う。

家庭や地域という、子ども達の「ベース」が、
共働きの増加とか、近所付き合いの希薄化とかによって揺らいでいる今、
「あそこに行けば○○さんが"待ってる"」という安心感って、
やっぱりあると思うし、それこそが「学童保育の重要性」なんじゃないかなと思います。

ボランティアだけじゃ、そうはいかない

ボランティアを否定するわけじゃないけど、
子どもって凄い難しいものだと思う。
片手間で付き合えるわけじゃないし。
そんな子ども達の教育の一端をお願いするわけだから、
やっぱりちゃんとした勉強をした方にお願いしたいと思うのは自然な流れだと思います。

子ども達にお金をかけるのは、未来への投資

子ども達には、確かにお金がかかります。
学童保育は、行政が行う事業で、民営のものでもそれは委託事業というのがほとんど。
税金が使われているのは事実です。
でも、子どもにお金をかけるのは、未来への投資だと思います。
フィンランドは、天然資源もない小さな国だったから、教育にほとんどの資源をつぎ込んだといいます。

今、子ども達に豊かな教育をしてあげないと、
将来困るのは老いた私達だと思うのです。

0 件のコメント :

コメントを投稿