ブログを書き続ける事は一種瞑想のような感覚がある。
ブログを毎日書き続ける事が私の心に与えた変化
「人を助けるすんごい仕組み」という、西條剛央さんの本を読んだのが、このブログを始めたきっかけだった。
何かを始めよう、何ができるか、というところで選んだのがブログ。
ネットで色々調べたら、とにかく毎日書き続ければ読んでくれる人は増えていく可能性があるとあったので、ルールとして毎日必ず一記事は書こうと決めた。
始めてみると、流入は海外の怪しいサイトからの流入ばかり(笑)で、人間らしき流入は皆無だった。
その状況は今、3週間程経ってもそれ程大きくは変わっていないのだけど、主にTwitter経由で読みにきて下さる方もちらほら見え始めている。
最初は、「ブログ書いてもほとんど読んでもらえなかったら悲しいな〜」と思っていたのだけれど、今はあまりそういう事も思わなくなった。
「自分で毎日書くと決めたのだから、毎日書こう。」
というような感覚で、なんとなく邪念が削がれていくような気分(笑)
何かを続けるという事は、自分と対話する事に近い
ブログを書き続けることは、一種トレーニングのように思えてきている。
ブログを書くこと
ブログに書くネタを考えること
ブログに書きたいことを想像すること
は、普段あまりない、
自分が言いたい事を確認すること
自分が何を考えているのかを確認すること
自分がなりたい未来図を想像すること
に近くって。
ブログを始める前よりも自分のことが少し、よく分かるようになった。
日記とはちょっと違う…誰かに見てもらえるかもしれないという期待感とその精神的効能
多分日記とブログが違う最大の要因は、読者を想定して書くというところだろうと思う。
日記なら、全ては内向きで完結するけど、ブログは誰かが見てくれるので、そこから何かが変わるかもしれないという期待感がある(実際に起こるかどうかは別として)
それは、私にとっては適度な緊張感となって、自分をより良く変えていきたいという上向きのベクトルになっていると思う。
ブログを書くことが、自分が変わっていく為の精神的な後押しになっていると言える。
自分に対する信用を積み上げる作業
ブログを書き続けることに限らず、何かを続けることや何かをやり切る事は、自信になる。
何か困難があっても、自分にはずっとやれている事がある、だから今回も乗り切れる筈だという気持ちにさせてくれる。
発言する内容も変わってくる。
ブログに現れているかは分からないが、
「したい、やりたい」
という台詞が減り、
「やります、できます」
という台詞が増えた。
※特に仕事の場で増えた。周りにもたまにそう言ってくれる人がでてきたりしている。
内側から変えることが、外側まで変えていく
ブログを書き続けるという瞑想的な行為が、
自分の内面を変えていっている実感がある。
必然的に外部に対する関わり方だったり、感じ方だったりというものも変わってきている。
不思議なもので、そうすると外部の状況も変わってくる。
まあ、他にも本を読んだり、仕事の環境の変化だったり、要因はあるのかもしれないが、自分としてはブログを書き続けることの影響は大きいものと考えている。
何かを変えるには自分を変えるしかないということ
何か変えたいと思った時、今までは外側を変えようとしかしてこなかった。
当然だけど、そうすると結果は何も変わらない。
何かに、誰かに変わってもらおうと思う事をやめた。
自分を変えようと思う事にした。
そうすると不思議と、少しづつ周りも変わってくる。
やっぱり、ブログを書き続けることは瞑想だ。
自分を見つめ、変える事で
自然と周りも変わっていく。
最後に、このブログはまだまだ流入なんてほとんどない事を断っておく。
ただ、ブログの流入は増えなくても、私の周りは少しづつ変化を始めた。
引き続き毎日書き続けていく。
私もこの11月からブログを始めました。
返信削除個人的な日記は社会人になったあとも続けていて、
「書くこと」が日々の「瞑想」になっていることは確信があります。
(「瞑想」というと、ガンジスのほとりで脚を組んで座って…などと
いう図がまず思いうかびますが、肉体的な姿勢やカタチがどうあれ、
“自分の内面と向き合う”ことが瞑想だとすれば、ワタシ的に日常で
もっとも簡単に実行できるのが、この“書く瞑想”なのです)
ブログを書いていると、今まで垂れ流しになっていた、
削除自分の興味関心、やりたいことが文字として蓄積されてきて、
それが自分を少しずつ変えているなーという実感があります。
一般的な「瞑想」も、結構効果のあるもののようです
(精神的安定、身体的安定に実際に繋がると、やっている人が言っていました)が、手軽にできる、書くことによる瞑想というのも、有効な気がしています。