マスメディアは死んだ
明日、ママがいないの問題から考えるマスメディア死亡説
明日、ママがいないに対する批判や、中止申し入れに関する反応を見ていて、思ったことがあります。
現代は多様化の時代であり、そこにフィットできないマスメディアは死んでいく
そんな事を思いました。
いろんな生き方が認知され、尊重されていく時代です。
少し時代を振り返れば、周囲と少しでも違うと迫害されるという時代もありましたが、そういった状況はどんどん変わってきています。
周りと違う人達一人一人も、情報発信の手段を得ていますから、それが世間に広まり、認められていくという流れもできてきていると思います。
個々人の趣味、趣向に関しても多様化してますし、選択肢も広がっています。
そんな中で、マス向けにコンテンツを作っても、リーチできる範囲が限られてしまうので、マスに届かない。
そういう時代に差し掛かってきているのではないかと思います。
人々が求めるのは、大衆に受け入れられるコンテンツではなくて、自分の為にカスタマイズされたコンテンツに移行してきています。
そしてそれを手に入れる手段も発達してきました。
マスメディアはかつて、唯一の選択肢でしたが、今や選択肢の一つになった。
しかも個々にカスタマイズする事は非常に困難。
マスメディアを選択する人が減ってきて、
今や
マスメディアは死んだ
のだと思うのです。
明日、ママがいないの内容に関して、
批判する人を批判する流れも出てきていますが、
自分が嫌だと思うものに、嫌だと言える社会は、時間をかけて先人達が築き上げてきたものではなかったでしょうか?
そういう歴史的観点から見ても、今ある流れは止まらないと思うし、メディアはそういった多様化に対応できるよう、自己を変化させていかないといけないのだと思います。
変化をやめたときが、死に向かう時というのは真理だと思っています。
私の目には、マスメディアは変化を起こせなくなった老体という風に見えます。
やはり、マスメディアは既に死んでいるのかもしれません。
0 件のコメント :
コメントを投稿