2014年2月17日月曜日

政治の主導権は老人のもの

日本は高齢化社会で、若者の数は相対的にどんどん減っています。

単純に人数だけで考えても、若者の影響力というのはどんどん小さくなっているという事です。

加えて、投票率は年齢層と比例するように、高齢層の方が高い。
若者は選挙に行きません。

こうなると当然高齢層の総意が国民の声のようになるわけですが、この影響は実は私たちの生活に大きく関わってきていると思うのです。

板橋区や江戸川区の学童の問題も、予算的な問題が大きく関わっているだろうことは容易に想像されます。
都内では他の区においても、保育問題があるようで、

保育園の待機児童問題に加え
学童保育でも待機児童問題があり
区によっては未だ学童保育が整備されておらず、小学1年生までしか対象とならない、というような地域もあるそうです。


人は眼前の問題に目が行きがちなので、高齢層の有権者は自然、高齢者に向けた政策を支持します。
予算には限りがありますので、そうするとどこかが削られる訳ですが、その対象が子供に関する予算だったり、少子化対策だったりするのでしょう。

政党も、まず議席数を確保しない事には政治の舵取りができないわけなので、打ち出す政策としては高齢層に支持される政策を打ち出さざるを得ない、という数に迎合した政党運営になっていきます。

若い層はどんどん政治の流れの外に追いやられていきます。




かつては若者が政治に熱心な時代もありました。(その時代を知っている訳ではありませんが)
学生運動だとか、安保闘争だとか。

今の若者は政治に関心がなさ過ぎてけしからん。
みたいな話をよく聞くのですが、正直そういった流れというのは

学生運動や安保闘争を経験した
今の政財界が、意図的に作ってきたもの
というような気がしています。

下剋上により天下を取った秀吉が、新たな下剋上を恐れたのと同じ理屈です。

またあの頃のように、若者が政治に関心を持ち、大きな動きになったら困る。
若者には、

政治家は汚れていて、期待しても自分たちの為に何かをしてくれるなんていう事はない。
どの政治家も大差ないし、誰に投票しようが、自分たちの生活は何も変わらない。
自分の小さな一票には何の力もなくて、投票に行くだけ無駄。

そう思ってもらって、黙っていてもらった方が政治はやりやすいのです。議席数の予想も立てやすいですし。

固定票を持っている高齢層を離さないように運営する方が、新たに若者の票を獲得するように努力するよりも遥かに効率的だし、お金もかからないし。

子供の頃から、メディアは政治に関して不信感を植え付けるような報道しかしていません。
でもそれは、政治屋の側からすると、その方がいい、望まれた形だったのでしょう。




でもそんな流れは、ネットの登場によって変わり始めている、日本でも中東の春のような動きが始まるはずだ。

残念ながらそんな風にも思っていません。

中東の各国には、日本とは比べものにならない危機感があったし、何より日本は現状にある程度満足してしまっています。

人は我が身に危機が迫って来たり、不満がたまっていなければ動かないものです。例えその兆候が現れていたとしても。
実際日本は借金まみれで貧富の差は極端、物は溢れているのに貧困層が存在して、国際的な競争力もどんどん落ちている、深刻な高齢化社会で今後も負債ばかりが増えていく予想。
という危機的状況なのですが、今はまだ、
困っている人たちは自分の事で手一杯、今はまだ生活できている層も、自分たちの生活を守るのに手一杯。
まとまって声をあげるような雰囲気とは程遠いです。

さらに中東との差で言うと、年齢別人口分布が違いすぎます。
2011年時点で、エジプト他中東の各国の国民の約半数は24歳以下の若年層です。

若者が集まり、声をあげることで世の中を動かせるという事が、数の面で成り立っているわけです。

日本では若年層は数的に劣勢ですから、仮に声をあげたとしても高齢層に潰されてしまいます。




ただ、だから黙っていていいのかというとそれはかなりまずいとは思います。
しかし、ただ闇雲に投票に行こうと言うだけだと結局何も変わらないわけです。(若者側から見ると)

極端に言って、高齢化対策と少子化対策を天秤にかけた時に、少子化対策に重きを置いて考えていかないと、結局最後には高齢層も困る結果になることは目に見えているわけなので、
高齢層の側から、若者へ歩み寄っていくように変わっていかないと結局日本は滅びるのではないかと思うわけです。

そういった意味で考えて、年金制度というのはもう積極的に廃止にもっていった方が最終的には良い結果になるのではないかとか思うわけですが、これは次回書こうかと思います。

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