2013年12月19日木曜日

プログラミングが可能性を拡げる5つの理由〜自立とプログラム。スキルをストックして自立できる若者を育てる〜児童養護施設の子ども達にプログラミングの教育を

プログラミングが可能性を拡げる5つの理由〜自立とプログラム。スキルをストックして自立できる若者を育てる〜児童養護施設の子ども達にプログラミングの教育を

プログラミングが可能性を拡げてくれる

児童養護施設の子供たちが、18で自立を迫られるという事実をしばらく前に知ってから、
教育が平等でないって、詰んでるなーと思っていた。

やっぱ大学くらい出てないと不利だよなと。
子供たちも、学びたいのに学べないという自分の境遇に
ネガティブな感情抱いちゃっても仕方ないよなと。

でもそこで思い出した。
自分も大学出てないじゃん。
と。

私の場合は中退なんだけども。

ただまあ、高卒でも、何とか人並みには食べていけてるし
それに、大学行ってない成功者ってのも沢山いらっしゃる。

だとすれば、18までの時間があれば、社会で戦えるスキルは身に付けられるってことか?
※私の場合は、18から働いてた訳ではない。でも24位から働きだして、今それなりに生活できてるので、逆に言うと18から働いてたらもっと成長できてたかも、とかも思う。

おそらく児童養護施設の子供たちには、教育だけでなく色んな課題があるのだろうから、一筋縄ではいかないかもしれないけど、それを言ってても始まらないので…

25の時、未経験から学んだプログラミングが今でも役立ってる。

私がどういう職歴を辿ったのかというのは割愛するけど、
今は都内IT企業でディレクターをやってる。(主にiPhoneアプリ)
ITのディレクターをやるにあたって、25の時に未経験から始めたプログラマーの業務経験が今でも役に立ってる。基盤になってるといっていいと思う。

その時関わってたのは証券関係で
言語はなんとCOBOLとかアセンブラ(!)
すっごく古い言語で、オブジェクト指向?なにそれ美味しいの的なw
化石的エピソードは沢山あるんだけど、今言いたいのはそれじゃなく、
何でもいいからコードに触れた経験は財産になる
ということ。

そしてその財産は君の市場価値に繋がると思うということ。

なぜ、プログラミングやろうぜと言っているのかというのを、
以下、5点にまとめてみた。

1.これからはプログラミングだって、オバマ大統領も言っているよ。世界はこれからより一層テクノロジーで進化していく。

オバマ大統領も、プログラミングは重要で、将来性があるという認識でいるようで
すべての人にプログラミングを学んでほしい
と、
Computer Science Education Week
というイベントに対しコメントを発表している。

2000年以降特に、ITテクノロジーに強みをもった企業が発展し、経済を牽引している。
Apple google twitter Facebook...
国内でも、楽天 DeNA gree GungHo LINE (正確には国内じゃないのもありますね)
この流れを見れば、世界はテクノロジーで進化していっているのは明白だし、
今後もその流れは加速していくと予測できる。

2.挑戦のハードルはどんどん下がっている。やろうと思えばスマホだけでだって、プログラミングには挑戦できる。

Androidのスマホであれば、
なんてのもあり、なんとスマホだけでプログラミングに挑戦することだって今は可能なのだ。

まあもちろんPCで開発した方が自由度も高いし開発しやすいだろうけどね。

PCに関しても、年々高品質低価格なものが出てきているし
開発環境の構築も、オープンソースのものを使用すれば無料でできてしまう。

プログラミングに挑戦するハードルはどんどん下がっているのだ。

3.教えてくれる人は沢山いるし、調べようと思えば簡単に調べられる。そういう環境が整っている。

ネットには、プログラミングマニュアルが沢山転がっているし、
何かにつまづいた時は、それをそのまま検索窓に打ち込むだけでいい。
大抵の事は、他の人も経験していて、「こうやったら解決したよ」という記事が残ってる。
私が勤める開発現場でも、ネットでやり方を調べるというのは日常茶飯事でよくやっている。
プロだってそうなのだ。真似すればいい。

また、ネットには、同じようにプログラミングに励む仲間もいるし、
先輩もたくさんいる。そういう人たちに、疑問に思ったことや分からない所を聞けば、
大抵は答えてくれる。
ggrksとか言っちゃう意地悪な人もいるけど、そういうのは無視してしまえばいい。

4.コードを書くたびに、自分に価値がストックされていく。経験は武器になり、市場価値となる。

理論を沢山学んだけど、実際コードを書いた事がない大学生と、(実際はそんな奴いないけど。大学生もちゃんとコード書いて頑張ってる。)
大学は行ってないけど100のプロダクトをコーディングした経験を持つ若者だったら、
評価が高いのは後者だ。
企業が求めるのは、
「これを作れる人材」であり、それはつまり「似たものを作った事がある」ということだったりする。
実際に作れる、作ったことがあるというのはエンジニアとしてはかなり市場価値を高めると言える。

5.何かを「作る」ということは、今の時代強烈な差別化要素となる。作り切ろう、何かを。

近代は、何でも用意されていて、「享受する文化」になってしまっている。
感動は人から与えられるもので、消費するもの。
みたいな若者は多いと思う。

でもいつだって世界を変えるのは、じぶんで何かを作り出す奴だ。

物を作るっていう行為は、本当は最高に面白い事だ。

それを知ってる人じゃないと、物を作ろうとは思えないだろうし、やらされる人生で終わってしまう。

プログラミングは、プロダクトを作る行為だ。この楽しさを経験できるかどうかというのは、今の時代では特に、強烈な強みになると思う。

プログラミングを覚えて、まずは自分の世界を広げよう

そんな取り組みを、児童養護施設の子供たちに向けてできたら、色々変わるな!と思った。

その為にはやっぱり、自分がもっと、教えられるくらいにならないと。

もう一度、プログラミングに本格挑戦しよう!
まずはプロダクトの立案からだな…




ブログを書くことは瞑想すること。〜何かを変えたいなら自分を変えるしかないということ

ブログを書き続ける事は一種瞑想のような感覚がある。

ブログを毎日書き続ける事が私の心に与えた変化

「人を助けるすんごい仕組み」という、西條剛央さんの本を読んだのが、このブログを始めたきっかけだった。
何かを始めよう、何ができるか、というところで選んだのがブログ。
ネットで色々調べたら、とにかく毎日書き続ければ読んでくれる人は増えていく可能性があるとあったので、ルールとして毎日必ず一記事は書こうと決めた。

始めてみると、流入は海外の怪しいサイトからの流入ばかり(笑)で、人間らしき流入は皆無だった。

その状況は今、3週間程経ってもそれ程大きくは変わっていないのだけど、主にTwitter経由で読みにきて下さる方もちらほら見え始めている。

最初は、「ブログ書いてもほとんど読んでもらえなかったら悲しいな〜」と思っていたのだけれど、今はあまりそういう事も思わなくなった。

「自分で毎日書くと決めたのだから、毎日書こう。」
というような感覚で、なんとなく邪念が削がれていくような気分(笑)


何かを続けるという事は、自分と対話する事に近い

ブログを書き続けることは、一種トレーニングのように思えてきている。

ブログを書くこと
ブログに書くネタを考えること
ブログに書きたいことを想像すること
は、普段あまりない、
自分が言いたい事を確認すること
自分が何を考えているのかを確認すること
自分がなりたい未来図を想像すること
に近くって。

ブログを始める前よりも自分のことが少し、よく分かるようになった。


日記とはちょっと違う…誰かに見てもらえるかもしれないという期待感とその精神的効能

多分日記とブログが違う最大の要因は、読者を想定して書くというところだろうと思う。
日記なら、全ては内向きで完結するけど、ブログは誰かが見てくれるので、そこから何かが変わるかもしれないという期待感がある(実際に起こるかどうかは別として)

それは、私にとっては適度な緊張感となって、自分をより良く変えていきたいという上向きのベクトルになっていると思う。

ブログを書くことが、自分が変わっていく為の精神的な後押しになっていると言える。

自分に対する信用を積み上げる作業

ブログを書き続けることに限らず、何かを続けることや何かをやり切る事は、自信になる。
何か困難があっても、自分にはずっとやれている事がある、だから今回も乗り切れる筈だという気持ちにさせてくれる。
発言する内容も変わってくる。
ブログに現れているかは分からないが、
「したい、やりたい」
という台詞が減り、
「やります、できます」
という台詞が増えた。
※特に仕事の場で増えた。周りにもたまにそう言ってくれる人がでてきたりしている。

内側から変えることが、外側まで変えていく

ブログを書き続けるという瞑想的な行為が、
自分の内面を変えていっている実感がある。
必然的に外部に対する関わり方だったり、感じ方だったりというものも変わってきている。

不思議なもので、そうすると外部の状況も変わってくる。
まあ、他にも本を読んだり、仕事の環境の変化だったり、要因はあるのかもしれないが、自分としてはブログを書き続けることの影響は大きいものと考えている。

何かを変えるには自分を変えるしかないということ

何か変えたいと思った時、今までは外側を変えようとしかしてこなかった。
当然だけど、そうすると結果は何も変わらない。

何かに、誰かに変わってもらおうと思う事をやめた。
自分を変えようと思う事にした。

そうすると不思議と、少しづつ周りも変わってくる。

やっぱり、ブログを書き続けることは瞑想だ。
自分を見つめ、変える事で
自然と周りも変わっていく。

最後に、このブログはまだまだ流入なんてほとんどない事を断っておく。
ただ、ブログの流入は増えなくても、私の周りは少しづつ変化を始めた。

引き続き毎日書き続けていく。

子どもの「第二の家庭」を目指す学童保育 埼玉県鶴ヶ島市の取り組みは全国でもトップクラス

子どもの「第二の家庭」を目指す学童保育 埼玉県鶴ヶ島市の取り組みは全国でもトップクラス

NPO法人鶴ヶ島学童保育の会の学童保育は「第二の家庭」を目指している

「第二の家庭」という言葉の中には、
ただ、預かってくれるだけの場所でなく
学校教育の延長でもなく
かつてあった、地域での子育てという枠をも超えた
子供たちにとってより良い環境、活動を目指すという意思を感じます。

私は利用者として、この鶴ヶ島学童保育の会の取り組みを知り、
その内容の充実に感動していました。

指導員さんは、子供たちをよく見、知り、
時には親のように
時には先生のように
また時には友達のように
子供たちと接し、まさに「第二の家庭」と呼ぶべき環境を創り、維持しています。

変わりゆく学童保育を取り巻く環境…危機感を覚える動き

現在、私のごく近い範囲での環境は非常に恵まれています。
ただ正直なところ、そのありがたみが分かってきたのはごく最近です。
普通に生活をしていると、自分の周りの環境しか認知できません。

あるものは、それがあるのが当たり前
ないものは、それがないのが当たり前

と、感じるようになってしまいます。

でも、それは間違いでした。
いまある恵まれた環境は、
30年前の保護者たちが始めた学童保育の取り組みから、受け継がれてきたものであり
行政と、学童保育の会が長年積み上げてきた信頼関係の上に成り立つものであり、
子供たちを第一に考え指導してくださる指導員さんたちの尽力によるものであり
決して当たり前のものではないのです。

そしてそれは、一歩間違えば一瞬で崩れ去ってしまう脆さをも孕んでいる可能性がありました。

現在の学童保育の会の「学童保育事業」は、市からの「委託事業」だそうです。
これは、うがった見方をすれば、
市はいつでも、委託を取り止めることができる
ということでもあります。

廃止の危機に瀕している板橋区の「学童クラブ」

最近、板橋区の「新あいキッズ問題」という話題を知りました。
簡単にまとめると、現在ある、学童クラブを廃止し、文部科学省事業である
「放課後子ども教室」に統合するという内容で、
現在学童クラブを利用している保護者は非常に混乱しているとのこと。

詳しい内容は、ここに直接記載するよりも、
【寄稿】板橋区の学童クラブ廃止のゆくえ〜小1女児を持つ母から
を読んでいただくのが良いと思います。

そしてこの問題、どうやら12月はじめに廃止が可決されたそうです。
「新あいキッズ条例」学童クラブ廃止可決

過去には、江戸川区でも、
「放課後子どもプラン」への統合に際し、
児童への「補食」事業が撤廃され問題となっているそうです。
学校の給食のあと、親の迎えが来るまで、何も食事が取れないとのことです。
学童クラブ補食廃止〜江戸川区の判断を問う①

鶴ヶ島の子育て環境を守るために

前述のような動きを見るに、鶴ヶ島の子育て環境
特に共働きや、ひとり親家庭にとっての子育て環境は
全国的に見ても恵まれており高水準であると言えると思う。

この環境を守るためには、まず知ってもらうことが大事だと思い、
この記事を書いている。

活動の内容詳細や、優れている点などは、一つの記事だけで収まるものではないため
今後この取り組みに関しては継続的に情報を発信して行きたいと考えている。

誇るべき取り組みは発信するべきだと思う

昨日、
「鶴ヶ島市の学童保育の取り組みは全国トップクラス。
良い取り組みは広めないと。…」
というようなTweetをしたところ
現職鶴ヶ島市長の藤縄善朗氏(@y_fujinawa)にリツィートして頂いた。

子育て支援が充実しているという事実は、
鶴ヶ島市としても積極的にアピールしていってほしいところでもあるし、
市長からも全国に向け宣伝していってほしいとか、勝手ながら思ったりしています。
市の発展にも絶対繋がると思う。

5年後の日本は、絶対共働きが今より増えるはずで、
子育て支援の不整備と、社会のニーズのアンマッチが叫ばれるようになると見ている。

そこに先駆けて子育て支援を充実させていけば、
少し都心から離れていても、鶴ヶ島は発展するだろう。

30年の歴史を絶やさず次につなげて行けば、他の真似できない素晴らしい市に発展するはずと思う。

子ども達に手作りおやつを。鶴ヶ島のコミュニティ・レストラン「ここほっと」 の成り立ち

子ども達に手作りおやつを。鶴ヶ島のコミュニティ・レストラン「ここほっと」の成り立ち

児童数が100人を超えても諦めなかった「手作りおやつ」

鶴ヶ島市学童保育の会の運営する施設の一つで、
児童数が100人を超すという、大変な状況になった事があるそうです。
その施設には大きなキッチンもなく、指導員の人数にも限りがあるなか、
手作りおやつを子ども達に提供し続けられるのか?
という問題が発生したそう。

その時誕生したのが、
ホームページには記載がありませんが、
元々、大勢の子ども達に手作りおやつを作ってあげられるような、
調理施設として立ち上がったそうです。
そこから、
「こんなに立派な施設なら、レストランとして運営できる」
という事になり、現在のここほっとが出来上がったそう。(細かくは異なる部分があるかもしれません)

100人を超えても、子ども達のおやつを諦めなかったのですね。
子どもの成長には、おやつが重要な役割を果たすということを
長年の経験から分かっていたからでしょうか。

コミュニティ・レストランの成功例でもあるという「ここほっと」

コミュニティ・レストランというのは全国に存在するそうなのですが、

ボランティア、非営利のおもむきの強い「コミュニティ」
と
採算、営利のおもむきの強い「レストラン」
という、二つの要素のバランスをとることは難しいことらしく、

コミュニティに偏り過ぎ、運営費に課題を抱える施設や
レストランに偏り過ぎ、コミュニティ的要素が排除されてしまう施設がほとんどなのだそうです。

聞くところによると、そんな中にあって「ここほっと」は、その両者のバランスが上手くとれた状態で運営され、また学童保育への手作りおやつの提供という役割も果たす
全国的に見てもモデルケースとなり得る事例なのだとか。

おやつの時間の「お手伝い」が育てる子ども達の自我

学童でのおやつの時間は、ただおやつをもらうだけのものではなく
子ども達が主体的に関わる学童運営の一場面となっているようです。
我が子も、おやつの時間には食器の準備を手伝ったり、後片付けを手伝ったり…
時にはホットケーキを自分たちで焼いたり。
おやつの時間のことを、いきいきと話してくれます。

学童でのおやつの時間は、ただの食事の時間という以上の価値があるもののようです。

おやつ廃止問題を考える

今年4月から江戸川区の「すくすくスクール」でおやつが廃止されたという。
記事はこう締めくくられています。

 全国学童保育連絡協議会の真田祐事務局次長は「運営の一体化は安直な待機児童の解決法」と指摘する。

「学童保育は家庭的な生活の場。二つの事業の連携はありえるが、一体化はどうか? 自由に帰れる子どもと、学童保育の子を一緒に預かることで、保育の質が落ちても仕方ないという考えはおかしい」(真田さん)

また、
には、
厚生労働省管轄の「学童保育」と
文部科学省管轄の「児童の放課後対象事業」の
一体化に関する、成り立ち、問題課題、疑問などが詳しくまとまっていました。

事実を把握されている方、本質を理解している方から見ると、
この学童保育と放課後対象事業の一体化であったり、
そこから派生してのおやつ廃止問題に関しては、
子ども達を無視した、学童保育の環境劣化としてとらえられているようです。

当事者にしか見えない問題

ですが、この問題はどうやら世間一般には正しく受け取られていない可能性があります。
という、DIAMOND onlineの記事がありました。


廃止賛成派の意見は
「一部の親が税金を使って子どもに『おやつ』を食べさせようとしている」
というような、誤解によるものが多いようで…

知ってもらわないと変わらない


このような誤解に対し、「何も分かっていない」で片付けるのは簡単だが、それでは何も変わりません。
現状を訴え、伝え、変えて行こうという動きをしなければ、日本はますます子育てのしにくい国になって行ってしまうかもしれない…

また、この廃止賛成派の人の中には、将来親になる人々もいるのではないかと思うが、
このままの流れでいけば、例えば10年後、自分の子どもが小学生になる頃に、取り返しのつかないことになっている可能性だってあると思います。

今親としてこれらの問題に直面している私たちは、未来の子育て環境を守る為に今、動かなければいけないのかもしれません。

アンバランスな大人が、子どもの病を作るという話。〜「成功者の告白」を、働 く親に読んでほしい訳

アンバランスな大人が、子どもの病を作るという話。〜「成功者の告白」を、働く親に読んでほしい訳

経営ノウハウの本というだけで終わらない。深く考えさせられる物語。

タイトルを見て分かる通り、起業、経営に関する書籍です。
ただ、この本を読んで私が感動した部分は、
起業ノウハウでも、経営ノウハウでもありませんでした。

起業〜会社の成長というイベントを通じて描かれる、家族の物語

この物語は、主人公の仕事と家庭を主な舞台として描かれていきます。
順風満帆に見える起業、会社の成長の裏側で、崩れ始める家族。
そして主人公の息子に襲いかかる「病魔」…

多忙な仕事と共に歪んでいく夫婦の関係

この物語で起きることは、フィクションでありながらフィクションでない。
何をいっているかというと、
「仕事を頑張る父親」と
「孤独に耐える母親」という
ありがちな問題を、分かりやすく読みやすい形にしてあります。

そういった意味で、現実では起こり得ないフィクションであるとは
言えない話だといいます。

子どもは、自らの体を捧げて、家族のバランスを取り戻そうとする。

両親の関係が悪化した時、
子どもは本能的に、そのバランスを取り戻そうとすると書かれています。
この物語では、
自分が大変な難病にかかることで、両親を団結させようとします。
これは子どもの本能であり、本人にもコントロールのできないものだというような展開でした。

簡単に言ってしまうと、
両親が抱える問題は、子どもに伝染するということでした。

心当たり、ありませんか?

私はあります…
この本を読んだ時、そういった意味で大変衝撃を受けました。

仕事と家庭のバランスを保ち、
家族のバランスをとることは、
実はとても難しいことだと思います。
でも、難しいで片付けてしまったとき、
最後にそのアンバランスの弊害を受けるのは
最も弱い子ども達です。
この部分は多分、真実だろうと思います。

助けを求められない時代

そもそも、そういった家庭のバランスというのは、
その家族だけで支えきれるものではなかったはずです。

昔は、一族は一つ所に集まり暮らしていましたから、
助け合うことは容易でした。

私が子どもの頃はまだ、近所付き合いがきちんと機能していて
助け合っていくことができました。

今はどうでしょう…

おそらくこれには個別に差があり、
また地域でも差があるでしょう。

ですが、
特に都心、そのベッドタウンでは
地方から上京してきた家族
周りに親戚などはいない
近所付き合いは崩壊している
といった状況で、助けを求められる環境が整っていないように思います。

一番防がなければいけないのは「孤独」

虐待の増加の一因は、ここにあるのではないかと思っています。
誰も話をきいてくれない
誰も分かってくれない
親がそんな状態になったとき、その矛先は

矛先は常に、弱者に向かうのです。

親の孤独を解消することが必要

これは別に、学童保育でなくてもいい。
どんな取り組みでもいいから、
孤独な親をなくす事が必要なのだと思います。

ただ、学童保育の、保護者参加活動は
同じように子育てをする仲間との出会いの場でもあったりして
そういう面でも、なくしてはいけないなと思います。

全児童放課後対象事業が、そのあたりどう取り組まれているのかはわかりませんが
そういった面も意識された取り組みであるといいなと思います。

2013年12月16日月曜日

高学年にとっての学童保育〜6年間を通して伝えることはきっと「必要とされる自分」

高学年にとっての学童保育〜6年間を通して伝えることはきっと「必要とされる自分」

法改正により、対処が6年生までになったが、現状3年生までという施設が半数。

学童保育について、児童福祉法という法律で定められているが、この法律は2012年8月に一部改正されたらしい。
今までの、対象は3年生までという部分が、6年生までに引き上げられた。

ただ実際はまだ、6年生まで利用できる施設は全体の半数程ということ。

鶴ヶ島の学童保育では、対象は6年生まで。

NPO法人鶴ヶ島市学童保育の会では、
対象は6年生までとなっています。

ただ「預ける場所」ではない

この対象学年設定には、ただ「預ける場所」ではないという
会の方針が透けて見えます。

そもそも対象が3年生までとされていた背景には、
学童保育が保育の場であるという前提があったのではないかと思うのですが
※学童保育は厚生労働省の管轄で、成り立ちとしても、いわゆる「カギっこ」増加による需要の高まりを受けてのものだったことから。

地域教育の力も弱まってきた昨今、
学校外での教育の場が必要とされることもあって、
対象学年が引き上げられたのかなと思っています。

鶴ヶ島市学童保育の会では
『6年間を通しての様々な体験・経験をする中で、「自分のことが自分ででき」、「子ども自身が考え」、「行動し」、「自分の行動に責任がもてる」ように、そんな子ども達に育ってほしいと願っています。』
学校外での体験、経験を通した教育の場であるとの自己認識をされているような気がします。

高学年での学童生活こそ、子ども達の成長の場

低学年での学童生活は、
守られ、見守られる「保育」としての側面が大きくなると思います。
私の子どもも低学年ですので、そういった印象です。
高学年の学童生活については、他の子ども達を見ていてとか、
保護者の方に話を聞いて感じたものにはなるのですが、

自分たちが主体となり、日々の生活の決め事を作ったり
遊びの面でも、小さな下級生達に気を配りながら遊んだり
イベントを自分達で引っ張っていったり
といった、
ただ守られる「保育」とは違った体験、経験がうまれる生活に
変化していくように感じています。

そんな生活を通し、
下級生にとって、指導員にとって、保護者にとって
「必要な自分」「必要とされる自分」を
自我の中に構築していくのではないでしょうか?

「必要とされる自分」を認識し辛い社会

自分は誰かに必要とされていると認識する、信じることは、
言うほど簡単な事ではないと思います。
大人であっても、この事に関して自信を持って
「私は必要とされる人間だ」
と言い切れるのは一握りだったりするのではないでしょうか?

高学年での学童生活は、この自己肯定感を育てる格好の環境です。

この部分を高い水準で教育できている取り組み、組織は
現状私はあまりないのではないかと思います。

鶴ヶ島市学童保育の会の取り組みは、この自己肯定感を高い水準で行えているなーと感じていて
維持し、広めていくべき活動だなと思う次第です。

2013年12月14日土曜日

20代の起業論〜サムライの生き方。できるできないでなく、やるかやらないかで世界を変える!

20代の起業論〜サムライの生き方。できるできないでなく、やるかやらないかで世界を変える!

シリコンバレーを日本に作る。サムライの挑戦。

著者の榊原健太郎さんは、「サムライインキュベート」CEO。
サムライインキュベートは、最近の起業ブームを牽引するインキュベーター、ベンチャーキャピタル。
簡単に言うと、世界を変える!だがまだお金はない!というベンチャー、起業家を支援し、出資したりする会社。

出資した会社が大きくなり、利益を生み出せば、リターンが得られるというモデル。

榊原さんは、本書の中で「日本にシリコンバレーのような、起業家達が次々ベンチャーを立ち上げる土壌を作りたい」というような事を語られていた。

googleやFacebookを倒すというような人を待っている

日本から、そんなでかいことを言う起業家が出てきてほしいということだった。
100%を目指しても、大体80%程度で終わってしまう。
目標は高くもってほしいというのがメッセージだった。

8つのサムライ魂

榊原さんが唱える、起業家にとって必要な8つの魂というのがあった。
知識が必要とか、お金が必要というのでなく、
魂が大切。
ベンチャーキャピタルの人がそんな風に語るというのは少し意外だった。

100の事業アイディア、その中には虐待や待機児童をなくすサービスというものが。

収益化が難しいと思われるこういった分野でも、果敢に挑戦する起業があれば支援するということだろうか?
自分が興味のある分野だけに、強烈に気になった。

虐待、待機児童、児童養護施設、
どの問題も、貧困や貧富の二極化といった原因が根っこにあるんじゃないかというのは思っていて、本当の意味でこれを解決するなら、やはりそこへのお金の流れを作らないとダメだろうなというのは思っている。
そしてそれを解決するのはやっぱり「ビジネス」なんじゃないかと。

やっぱり綺麗事じゃなく、お金は人を不幸にするし幸せにもすると思う。
お金の事を解決するなら、やっぱりビジネスだろう。
起業…
連絡してみようかな、サムライインキュベート。
20代の起業論